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東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)6434号 決定 1963年4月19日

少年 T(昭一八・一〇・九生)

主文

本件を東京家庭裁判所に移送する。

理由

被告人は、肩書本籍地において農業を営む○藤○一の三男にして、昭和三四年三月同地の中学校を卒業後上京し、京浜地域の鉄工所を転々として稼働していたが、漸次素行不良となり、昭和三六年に至り窃盗、傷害等の非行により再度に亘つて東京家庭裁判所の審判に付され、その都度いわゆる試験観察のため補導施設に委託されたが、いずれもこれより逃走し、昭和三七年春頃からは東京都墨田区○○町方面等を繩張りとする博徒△△一家の□□某の許に身を寄せ、その輩下となつていたところ、

第一、(一) 昭和三七年六月初旬頃肩書住居○屋アパート内において、同じく前記□□某の輩下である相被告人○川○次こと○沢○俊およびその姉○沢○美と共に、都内墨田区○○町西○丁目○○番地紳士服縫製業○倉○一(大正一二年二月二四日生)が右○俊と情交関係のあつた某女と同種関係を有したことに因縁をつけて、右○倉より金員を喝取することを共謀したうえ、同月八日頃から同月一一日頃迄の間前後数回に亘り、相被告人○沢および被告人において右○倉方に電話し、同人に対し、「俺の女に何んで手をつけた、慰藉料を出せ、出さなければお前の家へ押しかけて、お前の女房に今までのことを全部ばらしてやる。」旨申し向けておどし、同人を畏怖させ、因つて、同月一一日頃都内江東区△△△丁目△△△番地喫茶店「白○」において、被告人等前記三名が右○倉よりその甥○倉○を介して現金三万円の交付をうけてこれを喝取し、

(二) 相被告人○沢○俊と更に前記○倉○一より金員を喝取することを共謀したうえ、右○沢と共に同月一二日頃右○倉方に電話し、同人に対し、「先の三万円はあねごが全部持ち去つて俺達には一文も来ていない、俺達にも色をつけろ、ないのなんのと言うのなら仕方がない、俺達がそこへ行く。」旨申し向けておどし、同人を畏怖させ、因つて、同日都内墨田区○○町西○丁目○○番地喫茶店「○の○」において、右○沢と共に右○倉よりその甥○倉○を介して現金二万円の交付をうけてこれを喝取し、

第二、同月中旬頃前記○屋アパート内において、前記相被告人○沢○俊およびその姉○沢○美並びに同女と情交関係を有した前記△△一家の朋輩の○藤○夫(昭和一四年一一月一一日生)において、都内台東区□□□丁目□番地靴製造販売業○島○師(昭和一一年一二月四日生)が右○美と同種関係を有したことに因縁をつけて右○島より金員を喝取することを共謀したうえ、右○藤○夫および○沢○俊において、翌日午前三時頃右○島が右○美と同衾中の前記○屋アパート内の部屋に乱入し、右○島に対し、「この女は俺のすけだ、何んで手をつけた、とんでもない野郎だ、今から五分間のうちにどうやつてかたをつけるか考えろ。」等と、憤激の余り如何なる危害を加えるかわからないような態度を示しながら呶鳴り散らしておどかした末、「金で解決をつけよう、それが一番いい方法だ、一〇万円出して貰いたい。」等と申し向けて金員を要求したことの情を知りながら右犯行に加わるべく同人等と共謀のうえ右○藤○夫、右○沢○俊と共に同日頃都内台東区□□町□丁目□□番地□ム□喫茶店において、右○島○師および同人より前記の事情を伝え聞いた同人の兄○島○(昭和一〇年一月一〇日生)に対し、「この始末をどうしてくれる。」等と申し向け、同人等をして前記要求に応じなければ如何なる危害を加えられるかも知れない旨畏怖させ、因つて、同日同町○丁目○○番地右○島○方附近路上において、同人より右○師に代つて現金二万円を交付させてこれを喝取し、

第三、前記△△一家の□□某方の朋輩○田○興(昭和一五年六月八日生)外二名と共謀のうえ、昭和三七年七月二八日午後一〇時頃都内墨田区××○○番地食料品卸 商○宮○治方において、四名共同して、右○宮所有の現金一八、〇〇〇円位および預金通帳等六点在中の手提金庫一個を窃取し、

第四、同年九月二一日夜都内墨田区○○×丁目地内旧○田病院前の○○一家△田△の営むおでん屋台附近において、右△田の輩下である○木○夫こと○田○久(当一九年)等と些細なことから口論し、一旦は仲間の仲裁で立去つたもののなお憤激を押えられず、相被告人○島○夫を介して折畳みナイフ一丁(当庁昭和三七年押第二〇六〇号の一)を入手携行し、右○島および相被告人○沢○俊等に事情を明かして同行を求め、同夜一一時半頃前記△田△の屋台に押掛け、同所に至るや、被告人において、前記○田○久に対して暴行を加えるべく、同人を同所より南方五〇米位の前記○○×丁目○○番地株式会社○川製材所作業場材本置場内空地に連行し、相被告人○沢および○島においても直ちにその数米後方を追い、その間被告人等三名は暗黙の裡に互に事情を察知して暴行の意思を共通にし、右空地辺において右○田を取囲んだうえ、被告人において、矢庭に隠し持つていた前記折畳みナイフをもつて右○田の腹部を突刺し、よつて同人に対し、入院加療約五〇日を要した巾約一・四糎、深さ約一〇糎の肝臓を貫通する上腹部刺創の傷害を負わせ、

第五、右犯行直後、右同所附近において、前記○田の安否を気遣つて駈けつけた同人の朋輩○中こと○口○夫(昭和一一年一月二三日生)および○谷○二(昭和一八年二月七日生)に対し、突嗟に前記相被告人○沢○俊および○島○夫と暴行の犯意を共通にしたうえ、口々に「お前等もやる気か。」等と申し向けて立ち向い、相被告人○沢または同人および被告人において、右○口および○谷の身体を土足で蹴飛ばす等の暴行を加え

たものである。

右の各事実は、本件各証拠によつてこれを認めることができる。

法律に照らすと、被告人の判示第一、第二の各所為は刑法第二四九条第一項、第六〇条所定の恐喝罪に、同第三の所為は同法第二三五条、第六〇条所定の窃盗罪に、同第四の所為は同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第六〇条所定の傷害罪に、同第五の○口○夫および○谷○二に対する各所為は同法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第六〇条所定の暴行罪に各該当し、その犯情は誠に悪質であり、その責任を軽視することはできないが、被告人の年齢、境遇および経歴並びに家庭の状況等を併せて考察するならば、刑事公判審理を通じきびしくその罪責を糺明した現在においては、外形的責任の追及に拘泥して刑事処分をもつて臨むよりも、これ迄に充分保護処分を施す機会のなかつた被告人に対しては、この機会に保護処分による矯正教育を尽し、性格を矯正し、社会性の涵養を図り、有為な社会人として更生せしむべく全力を振うことが、一見迂遠なようではあるが、結局社会防衛の見地からも合理的で実効性があるものであると判断し、少年法第五五条を適用して本件を東京家庭裁判所に移送することとする。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 四ツ谷巖)

参考

受移送家裁の決定(東京家裁 昭三八(少)九二〇一号 昭和三八・五・六決定 抗告無 報告四号)

主文

少年を秋田保護観察所の保護観察に付する。

理由

一 非行事実

少年に対する昭和三八年四月一九日付東京地方裁判所の移送決定書(別紙一添付)記載のとおりであるから、これを引用する。

二 上記事実に適用すべき法条

上記移送決定書記載のとおりであるから、これを引用する。

三 主文記載の保護処分に付する事由

少年の非行事実は前記のとおりであるが、調査及審理の結果を綜合すれば、昭和三八年五月四日付担当調査官意見書(別紙二添付)記載のとおりの理由により、本件につき少年を秋田保護観察所の保護観察に付することが相当であると認められるので、少年法第二四条第一項第一号少年審判規則第三七条第一項により主文のとおり決定する。

別紙一<省略>

別紙二

意見書

少年 T

(住居 東京都江戸川区○○××番地○屋アパート)

(帰住地 秋田県由利郡○○村××番地保護者父Y方)

上記少年に対する保護事件は調査の結果下記理由により保護観察決定を相当と思料する。

理由

少年は農業を営む父Yの三男として出生、昭和三四年本籍所在の○○中学を卒業同年五月就職の為上京、京浜地域の鉄工所を転々稼働していたが、昭和三五年頃より単独住込生活、不良工員仲間から悪影響を受け素行不良となり昭和三六年三月一六日横浜家裁に於いて傷害事件に依り審判不開始決定を受けた。其後浮浪状態に陥り窃盗、傷害、恐喝事件を起し昭和三六年八月二一日当裁判所に於いて審判試験観察決定住慈園に補導委託されたが同月三〇日逃走、同年一一月六日同園に復帰したるも昭和三七年一月三日再び逃走、○○町方面を繩張りとする博徒△△一家の□□某の輩下となり、おでん屋台の売子等に従事していたが、本件非行に依り逮捕、昭和三七年一〇月三一日当裁判所に於いて検察官送致決定を受け東京地裁に於いて公判審理の結果事案は悪質でその責任は軽視出来ないが、刑事公判審理を通じて厳しくその罪責を糺明した現在外形的責任の追及に拘泥して刑事処分を以て臨むよりも保護処分に依る矯正教育を施し更生に資する事が相当として昭和三八年四月二三日当裁判所へ移送されたものである。

依つて少年の現在に於ける心境経歴素質環境或は家庭に於ける保護能力等を調査し、いかなる保護処分が少年保護の目的に照らして有効適切であるかを考えるに別紙調査報告書の通り、少年は約七ヶ月にわたる全拘束期間中に自己の非行化原因、非行に対する観念の過去と現在に於ける相違等を反省し嘗て関係した反社会的集団に対処する決意を強め、将来は親許へ帰宅の上正常な社会生活を営む旨誓つている。

一方保護者は前非行当時内容の伴わない自信過剰虚勢等に困惑していたが現在では家族一致の上少年を受容し正業につかしめ更生に努力したい旨強く述べている。

一九歳の過半期を勾留期間として過しその間抱いた反省心、将来に対する決意は前記期間が少年にとり一面治療教育的効果があつたものと認める事も可能である。

従つて今後はその更生意欲を持続させ実生活に具現出来る様万全の生活指導を為すべく少年の帰住地を管轄する秋田保護観察所の保護観察に付することを相当と思料する。(昭和三八年五月四日 家庭裁判所調査官 森次郎)

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